工藤哲巳展

 

近美の工藤哲巳回顧展に駆け込みで行ってきました。実は今までそれほど知らなかったけれど面白かった。安易には言えないけれど、工藤の作品にまつわる環境汚染、放射能、新しいエコロジーというキーワードがくしくも今の日本の現状とリアルに重なる。オヴジェに使われている60年代のモノプリサック(紙袋にHommage à la jeune générationの書き込み)や野菜スープの箱に思わず目を引かれたりもした。

工藤哲巳は60年代から80年代にかけてパリを中心にヨーロッパで活躍したアーティストで、「アンフォルメル・アート」の呼称を最初に提示したあの美術批評家、ジャズマンのミシェル・タピエに最初に見出されたとか。

ミシェル・タピエといえば、私にとっては、ブーレーズのテープと管弦楽のための作品《力のための詩》(1958)つながりで知った人。アンリ・ミショーの同名の詩にブーレーズはインスパイアされて初のミクスト作品(ミシェル・ブケによる詩の朗読、電子音響と器楽の融合)を創作したわけだけど、もうひとり、この詩に触発されて、詩集の造本を手がけたのがミシェル・タピエでした。タピエの装幀は、木製の表紙に鉄の鋲が打ち込まれ、さらにリノリウムの活版印刷で制作された紙面をもつ初版限定46部、詩集というよりひとつの作品(パリのヴァンドーム広場にあったギャラリーで展示された)。

工藤の作品とは直接関係ないけれど、工藤、タピエ、ミショー、ブーレーズというふうに接点がつながっていくのは面白い。この展示を見る前と後では、ブーレーズの《力のための詩》に対する視点が確実に更新されたと思う。この時代、ブーレーズのなかにアンフォルメルへの志向があったにちがいないし、実際それは、この作品以前に試みた開かれた形式(《ピアノ・ソナタ第3番》)やその後の《プリ・スロン・プリ》にも通じているだろう。ブーレーズをめぐっては、マラルメ、ルネ・シャール、ミショー、クレーなど多くのアーティストが周辺にいて、それらをめぐる個別の研究はそれなりにされてはいる。しかし、ブーレーズと他芸術との関係をもう少し包括的な視点から俯瞰して、その時代固有の空気感を読み取るような見取り図を作るのはまだ足りていないような気がする。ただ、ある調査先で出会った仏人の女性研究者が近く出版すると話していた著作は、音楽的な分析をアプローチにしたものではなく、ブーレーズが交流した文化人との関わりをテーマにした博士論文らしいので、早く目を通したいと思う(現時点ではまだ刊行されていない模様)。

作品カタログから破棄され、ドナウエッシンゲン音楽祭の初演の録音音源のみが残っている《力のための詩》の草稿は膨大に残されていて、未出版の自筆譜と合わせて2012年秋から冬にかけて長期に渡って調査した。財団のコロキウムやソルボンヌのコロックでもごく一部を研究発表させて頂いたものの、まだもうひと押し論考を押し進めていかないとと思いながらそのままになっているので、これを機に少し立ち戻らなければいけない。