今日は7月末に訪れたブルターニュ地方のカルナック小旅行について書こう。実はカルナックに行ったとき、電車を間違えるハプニングがあった。本当はカンペール Quinper行きの列車に乗るはずだったのに、何を勘違いしたのかブレスト Brest行きに乗ってしまったのだ。ちょうど着くはずの時間になっても列車が止まらないので、なんか変だなと気づいて慌てて次に止まった駅を降りた。駅員さんに聞いたら、ぜんぜん違うところだよと言われてびっくり。

ブレストはブルターニュ半島の一番突端の街で、「地の果て」を意味するところ。私が降りた駅は、その一つ手前のモルレーMorlaixという駅。目的地だったカルナックに近いオーレイ Aurayの駅は、下の地図で見るとヴァンヌ Vannesの少し左にある。まったく反対の北側に来てしまった私。。ああ、やってしまった!と最初は思ったけれど、とりあえず駅員さんについていく。

駅員さんによれば、もう一度レンヌに戻らないとオーレイには行けないとのこと。ひーん。なんてこったと思いながら、切符を買い替えに売り場へ向かった。でも事情を話すと、ありがたいことに無料ですべて乗車券を振り替えてくれた。なんてラッキーなんだろうと思いながら、レンヌへ戻る電車まで1時間ちょっとあったので、せっかく降りたモルレーの街を少し歩いてみた。こういう行き当たりばったりの旅もなかなかいいもの。この街はけっこう大きくて、高台と高台の谷間に街が作られている。駅のある高台から街を見渡すことができて、静かな良い街だった。ちょうどお昼なのですぐそばのブーランジュリーでパニーニを買って食べながら歩く。古い教会があったので中に入ろうとするも、扉が閉まっていた。残念。

 

 

 

でもバカンスとはいえほんとうに人っ子一人いなかった。どうなってるのかこの街は。 期せずして訪れたモルレーの街に感謝しながら電車に乗り込んだ。写真にはちょうど訪れた教会の尖塔が見えている。なんともいえない寂しい雰囲気が漂う街だった。

レンヌまでまた戻ってカンペール行きのTGVに乗り換えて、午後3時半にようやくAurayに到着。今回家族で過ごしているバカンスに呼んでくれたルーシーが妹さんと一緒に車で迎えにきてくれたので、すぐ乗り込んで別荘へ。別荘のある道へ一本入ると、ブルターニュ地方ならではの石造りの古い、古い家がぽつぽつと見えてくる。このあたりは、ブルトン語で「Kerleskan」(Ker=街、村)と書いて、レスカン村というらしい。5軒ほどのごくごく小さな集落で、人が住んでいるのかどうかさえわからないような静かな佇まい。細い道を曲がると、一気にひらけたところに出たと思ったら、巨石遺跡メンヒルが向こう一面に広がっていた。別荘はまさにその遺跡の目の前にあった。別荘は毎夏借りているとのこと。彼女たちは「時代遅れでインテリアが酷いの」と嘆いていたけれど、これはブルトンの伝統的な装飾品で、壁紙や家具、照明、テーブル、ソファ、動物の剥製などすべてが古き良きフランスを彷彿とさせるものだった。

もうひと家族遊びに来ていて、荷物を置くとすぐに総勢9人でドライブへ。カルナックのビーチへ向かった。このあたりは車がないと来られないし、日本の観光ツアーではまず紹介されない地域なので、日本人は皆無。海岸へ向かう途中にある森一帯はキャンプ場が広がっている。キャンプ場というとあまり大したイメージを抱かないけれど、フランスはキャンプ場にも星付けがあって、ここは4つ星で相当いいランクのようだった。利用客はほとんどイギリス人とのこと。イギリスからブルターニュ地方が近いというのも理由なのかもしれない。

カルナックのビーチへ向かう前に、少し周辺を散歩する。すると、古い小さなシャペルに出会った。パリや他の街で見ていた教会とはまったく違う趣で、その昔この土地に住んでいた人々の貧しい暮らしや気候、風土、文化がすべてそこに凝縮されているかのよう。

海に近いからか船の線画が残っている

 

ロワール河以南はすべて屋根がオレンジなのに対して、ブルターニュの家々の屋根は、すべてネズミ色のチャコールグレー。フランス語だとグレーを「gris」と書くのだけれど、この単語は「曇った、どんよりした」という意味もある。一年中雨が多いブルターニュのグレーの空の色彩を、この石造りのシャペルは象徴しているかのようだった。

カルナックのビーチは、まぶしいばかりの太陽と透き通った海が広がって、それはそれは気持ちのいい時間だった。ちょうどバカンス真っ盛りのビーチは海水浴客でにぎわっていた。このカルナック、サン・コロンボンの海岸近くには、石造りの家々が点在しているのだが、フランスでも有数のビーチに近いということもあって、いまでは別荘として人気が高く、価格がとても高いらしい。ルーシーのお母さんはひたすらお父さんに「ねぇ、このあたりに別荘を買いましょうよ!」と話しかけていたけれど、お父さんが「ノン!」の一言で一蹴していたのが可笑しかった(追記:しかしその数年後実現したそう!)。

 

ビーチから戻ると、夕暮れを迎えて夕飯の時間に。サラダ二種類とフロマージュ、バゲット、サラミでとても軽食だった。お昼にしっかり食べる習慣がフランスにはある。私は電車を間違えたおかげで、パニーニ一本しかお昼に食べていなかったのでちょっと物足りなかったけれど、ルーシーの家族とともにする夕食は楽しい時間だった。

別荘の近くにある大きな家。ブルターニュ式の典型的な家で、ルーシーのお母さんは「すばらしい家」とたいそう気に入っている様子だった。中に入ってみたいけれど、所有者がいることはめったにないそうで、残念。

この別荘のある場所から海岸へ向かって一直線に連なる遺跡は「カルナック列石 Les alignements de Carnac」。世界史で習ったあの遺跡だ。ケルト民族がブルターニュ地方に移住してくるより前の先史時代に出現したものらしい。石によっては一トン以上もある重たい巨石をどうやって運んで、何のために並べたのか。「墓碑」として建てられたという説もあるそうだが、いまでもはっきりしたことはわかっていないそうだ。4月から夏の終わりまで、メンヒル一帯の植物を保護する目的でガイド付き以外はなかに入ることができなかったけれど、神秘的な魅力を秘めたメンヒルをこうして見ることができて、幸運だったと思う。

別荘の食卓から見える風景。

ドルメンはこちらへの標識。

翌日の朝ひとりで別荘周辺を散歩して、家々を写真に撮ってみた。このなんとも言いようのない古ぼけた石の壁がほんとうに素敵で、ずっと眺めていたい気持ちだった。

1651年と刻まれている。

カルナック周辺の地図

海岸へ続く森のなかにもメンヒルが点在している。

森を歩いていると、麦畑に出くわした。

森を抜けると、長い長いメンヒルの列が再び続く。

海岸に近づくに連れて、メンヒルの石が巨大になっていく。

ルーシーと二人で1時間以上メンヒルを見て歩いたあと、別荘に帰ってお昼をみなで食べた。お昼のメニューは、たっぷりのホタテとマッシュルーム入りのパスタで美味しかった!6人分作るのはたいへんだったと思う。ありがとうお母さん。でものんびりお昼を食べている暇はなかった。なぜなら、私はこの日にはもうレンヌに戻ることにしていたからだ。ほんとうはもう一泊したかったけれど、3日後にはトゥールへ移動する予定になっていたのと、日本から送った荷物4箱がすでにレジデンスに届いていたので、部屋の整理をしなければならなかった。でも実際は、フランスへ来てからまだ一週間で疲れが取れていなかったのが本音かもしれない。

そんなこんなで、帰りの電車に乗るまであと4時間を残すばかり。さて、何をしよう!するとルーシーのお母さんが近くに小さな島々が点在する奇麗な場所があると言って、ルーシーと私を車で連れて行ってくれた。島々が点在するその一帯は、エテルという川がつくる小さな湾で、河口で海と川がつながっている。でも、写真を見てわかるように、どうみても日本の感覚でいう川には思えない夢のようなところだった。私たちは100メートルくらいの橋を渡って、この家の右側に浮かぶ小さな島サン・カド Saint-Cado島へ向かった。ここは5世紀から7世紀ごろにやってきた聖カドという人物がシャペルとフォンテーヌ、カルヴァリを建てたという伝説が残っている島だ。10分もあれば一周できるようなごく小さな島だったけれど、そこにある家々は趣があって素敵だった。

白い壁が青空に映える。

伝統的なブルターニュの窓枠。

少し歩くと島の中心に十字架の塔が見えてきた。

十字架の右手にどっしりと佇むサン・カドのシャペル

石の重みのためか少し傾いた屋根がいい味わいを出している。

シャペルの裏に回ると、フォンテーヌがあった。

磔にされたキリストの激しい苦痛と苦悶の経験を象徴するカルヴァリ

電車の時間まであと1時間を残すのみとなったが、お母さんはこのエテル川と海がつながっている河口バール・デテルBarre d’Etelまで車を飛ばして連れて行ってくれた。これぞまさに大西洋のエメラルドグリーン!その海原の迫力にただただ圧倒された。写真ではいまひとつ伝わらないかもしれないけれど、このあたりは遊泳禁止地区になっているそうだ。それもそのはず、あっという間に飲み込まれてしまいそうな流れの速さで、とても泳げるような海には見えない。

それでも水着を着た人たちが浜辺にいたのが笑える。きっとちゃぷちゃぷ水浴びする程度だろうけれど。ゆっくりいつまでも眺めていたい壮大な海のパノラマ。でも電車の時間が迫っていた私たちは、駆け足で車に戻ってAurayの駅へ向かった。でも思った以上に駅まで遠かった!お母さんはすっ飛んで運転してくれたが、間に合わず。結局、2本あとの電車に振り替えて帰途についた。