今日はレンヌにあるサン・ピエール大聖堂 Cathédrale Saint-Pierre について書こう。レンヌに残された貴重な中世の一角、ちょうどこのSaint-Sauveur教会の通りを歩いていくと、サン・ピエール大聖堂がある。9月のまだ明るい陽射しが中世を彷彿とさせる光と陰を映しだしていた。
ドームの陰に佇む木組み式の家々
この行き止まりのような角に出ると、石畳の曲がりくねった路地に、大聖堂のドームが大きな弧を描いて立ちはだかる。
歩きながら上を見上げると、なかなか面白い流線型のフォルムをしている。イタリアのローマでこつ然と姿を現したパンテオンの大きなドームを見たときを思い出す。このときも正面からではなく、後ろからドームが見えてきたので、あのときの感覚がふっとよみがえった。しばらく周辺をうろうろしたあと、後方の扉から大聖堂のなかに入る。
教会に一歩入ると冷んやりした空気が頬をさわって、内部の暗さとともに神妙な気持ちになるから不思議だ。こちらの人のように十字を切って膝をついて一礼することもせず、どこかよそよそしさを拭えないまま、ためらいがちにゆっくり歩を進める。いつもたいていそうだけれど、何かここにいるのが場違いのような感覚にかられる。
教会や大聖堂は光と陰のコントラストが美しく映える。このコントラストをうまくとらえて写すにはもっといいカメラが必要だけれど、試しに撮ってみる。この背の長い椅子がとてもいい味を出している。向き合って並んでいるのはなぜだろう。礼拝のときも向き合って座るのだろうか。
これは本物のミイラなのかしら・・・
この大聖堂の主役であるパイプオルガンは、礼拝堂を主に考えると後方に、建造物の構造からいうとファサードのある正面側にある。このパイプオルガンの設置は19世紀とのこと。ナポレオン3世が1858年にブルターニュ旅行で訪れた際に、オルガンの設置を提案したそうだ。1869年から工事が始められ、1874年に完成。ファサードといい、パイプオルガンといい、ブルターニュにやってきた歴史上の偉大な人物の「お達し」によって建てられたことになる。黒光りしたパイプがよりいっそう荘厳な空気を引き立てていた。どんな響きがするのだろう。いつでも行けるのに、まだ一度も日曜日のミサに足を運んだことがない私である。
ようやく正面の入り口から外に出て、大聖堂の正面を眺める。かいつまんで大聖堂の歴史を書くと、一番始めにカテドラルの建立が始まったのは6世紀にまでさかのぼるそうだ。14世紀半ばにファサードが建設されるも15世紀末に崩壊。その後16世紀半ば〜17世紀後半の一世紀をかけて少しずつ現在の姿に近いネオ・クラシック様式 style néoclassiqueのファサードが建設されていったという。最終的にヴェルサイユ宮殿やシャンボール城など数々の建造物を推進した太陽王ルイ14世のスローガンによって高さ48メートル(157歩!)まで引き上げられた。
ポルト・モルドレーズ Porte Mordelaise
このファサードを背にしてさらに路地を進んで行くと、古い城門跡が見えてくる。この写真は門をくぐり抜けて振り返って写したもの(この門の後方に大聖堂が位置することになる)。城門の右にある但し書きによれば、1440年に建立されたこの城門はブルターニュの歴史で重要な意味をもつ。その昔レンヌの公爵や伯爵領主たちが初めて入場するとき、ブルターニュ公国の自由と権利を尊重する宣誓の誓いがこの門の前で行われたそうだ。フランスのなかでも異なる民族、ケルトを出自とするブルトン人の国ブルターニュは、固い結束のもとで自分たちの文化を守ってきたのだろう。この城門はその歴史の一端を物語っている。いま振り返ると、ひとりふらりと歩いたあの文化遺産の日、知らず知らずのうちにブルターニュの歴史に入り込んでいたのかもしれない。ちなみにこの城門手前の左手に見える一軒がお気に入りのクレープリー屋さん。レンヌには何十軒もクレープリー屋さんがあるけれど、ここはビオの食材のみで作られていて、パリッとしたそば粉の生地も具材もたっぷりで美味しい。
