一ヶ月に渡る語学学校の最終日、成績表と修了のディプロムを受け取る。ドイツ人のMちゃんは小学校からフランス語を始めたそうで文字通りぺらぺらで、日本の語学学校の上級よりずっと高いレベルの語学力をもっていた。やはり日本も英語だけでなく、他の言語も小学校から学べるようにするべきだと思う。もちろん公立の小学校で。これを今回痛感した。母国語が重要だ云々ではなく、いくつも言語が話せることはコミュニケーションの大きな武器になる。ヨーロッパ圏の人はもちろん、エジプトやトルコを含めた近隣に住む子たちもみな早くから英語と英語以外の言語を学んでいる。第二外国語を大学から始めたのでは遅すぎる。嗚呼、日本は時代遅れから早く抜け出さなければいけない。写真は語学学校を後にする前に撮ったもの。場所によっていろんな教室があるけれど、写真の部屋はとくにすばらしかった。
1ヶ月のトゥール滞在とお別れして、昨日レンヌに戻った。レンヌには一週間ちょっといただけなのに、もうすっかり自分の家に帰る感覚になっているのだからおもしろい。実際レンヌの駅に着いてメトロに乗り、サン・タンヌ Saint Anne 広場に出ると、気持ちがふわっと軽くなった。ステュディオに荷物を置くと、ほっとした。一番心配の種だったネットの接続も新しいモデムでうまくいき、ひと安心。今日〆切だったオペラシティの解説原稿もなんとか書き上げて、一区切り。こうしてまたブログが書けてうれしい。
ここからは、トゥール最終日について書こう。語学学校を後にして、授業中に先生から聞いていた美術館へ向かった。Musée du GEMMAILという私設の小さな美術館だ。小さな路地を入ると、こんな看板が目に入った。ちょうど午後2時頃、女性が門を開けているところだった。私の姿を見ると、彼女は「どうぞ、いまちょうど開きました」といって案内してくれた。
門が開くと、こんなアプローチになっている。これはいい感じの雰囲気だなと嗅覚が疼いた。
アプローチの階段。
以前に開催された企画展のポスター。ここで、この美術館のことを少し書こう。この美術館は1950年代始めに生まれたジェマイユ・アートL’art du Gemmailと呼ばれる新しい美術の創始者Roger Malherbe氏によって1973年に始められたそうだ。最後に話をしたときにわかったのだが、入り口で私を案内してくれた女性は、創始者の娘のClaireさんだった。彼女自身もジェミスト Gemmisteとして作品を作っているそうだ。Gemmailはステンド・グラスのことだが、教会のものとは大きく異なる手法でこのアートは制作されている。実際にそばで見るとわかるけれど、テクスチュアの感じがもっと立体的で変化に富んでいた。ガラスと宝石の断片を使って張り合わせながら作品を作っていくこのアートは光のアートとも呼ばれ、素材と色彩の豊かさが大きな魅力となっている。ピカソやブラック、コクトーらもこの新しいアートに関心を寄せ、作品を創作したという。こんなアートがあるとは全然知らなかったので、思わずうれしくなった。トゥールでは時間がなくてほとんど観光できなかったけれど、最後にこんな美術館に出会えて最高だった(追記:そういえばこの美術館以外で、トゥール滞在中にちょうど作曲家フランシス・プーランクにちなんだ音楽祭が開催され、一度だけコンサートに足を運んだ。)。
ピカソがジェマイユを制作しているところ。
ピカソのジェマイユ展を知らせるポスター。
ジャン・コクトー「オルフェの死 Orphée mort」
作者とタイトルは忘れた。。
おぉ、モナリザだ!
ピカソの自筆メモつきの写真。
このメゾン自体は1825年に建てられたものだが、この地下には12世紀に建てられた古いシャペルがある。
小さいけれど白い石壁で建てられたいいシャペルだった。
最後この創始者の娘さんであるClaireさんと少し話をした。こんなアートがあるとは知らなかったと話したら、1998年に当時の東武美術館でジェマイユ・アートの企画展があったことを教えてくれた。東京や函館を含めて全国6カ所で巡回したそうだ。知らなかった!!しかも驚いたことに、ピカソの2点が函館にあるそうだ。今度行く機会があったら探してみよう。Claireさんはこの企画展のとき来日したそうで、日本の街や文化に共感をもって、日本人の暖かいおもてなしが印象に残っていると話してくれた。とても感じのいい方だったので写真を撮らせてもらった。いい時間をありがとうと言って別れた。
美術館を後にして、ステイ先に戻った。夜はマダムと一緒にアジア料理のレストランへ。こじんまりしたレストランを想像していたけれど、いわゆる中華飯店のような大きなお店だった。8時前に入ったが、すでにお店はほぼ満員。バイキング形式で食べ放題なので人気があるらしい。大味ではあったけれど、でもシュウマイや餃子、かにクリームコロッケ、豚肉の野菜炒めや牛肉の炒め物などなどたくさん頂いた。きわめつけはカエルのもも肉の唐揚げ。味は確かに美味しいね。すべて食べ終えると、店員がお酒をもってくる。なぜ最後に日本酒なのかよくわからないけれど、とにかくいつもそうらしい。小さなおちょこにお酒を注いでくれるのだが、マダムが最初のときに話していた通り、底の部分に細工が施されていて、お酒が注がれると底の絵が見えるようになっている。その絵はどうしてなかなか不思議なことに「西洋人男性のヌード」が描かれているのだ。しかも笑顔で。おちょこの外側は東洋的な色付けがされていて普通でも、この底の細工がまったく意味不明。可笑しくてマダムと一緒に大いに笑った。
翌朝、9時47分の旧特急車両に乗って、ル・マン Le Mansへ。古い車両はなかなか味があってよかった。
外側はこんな感じ。行きは赤でなく青だったけれど。旧特急車両は主要路線から外れたところで使われているようで、今まで大都市間しか移動していなかった私は乗ることがなかったので、今回乗ることができてよかった。ル・マンで1時間待ってブレスト行きのTGVに乗り換えて、午後1時21分にレンヌへ到着。トゥール最終日は充実した一日だった。
ル・マンの駅舎で
