大学のことなどetc.

2017年から1年間在外派遣でフランスに滞在し、2018年3月半ばに審査を終えて帰国後わずか2週間で始まったドタバタの大学非常勤生活。早くも7年目を終えようとしていることに驚くと同時に、複雑な心境というのが正直なところですが、これについてはコメントはしないでおきます。

非常勤生活をしていてここ数年感じることは、いわゆる「非常勤ハラスメント(嫌がらせ)」(こういう言葉はまだありませんが、私が作りました)が横行しているということです。どういうことかというと、明らかに事実と異なる世間のデマ、勝手な思い込みによる人権侵害に近いハラスメントが起こっているということです。よく忘れた頃に(しかし定期的に)新聞紙上に「高学歴ワーキングプア」や「雇い止め問題」などの記事が出ますが、非常勤の生活についても定期的に取り上げられているように思います。確かに非常勤は毎年契約を更新する必要があり(5年ごとの契約というのもありますが)、いわゆるフリーランスの部類に入るのでしょう。ただ一言で非常勤と言っても、一般の人からは見えないさまざまなゾーンに分かれています。しかし、そのことが(当然かもしれませんが)世間一般からは全く理解されていないと思います。そしてこれに起因する迷惑千万なハラスメントが起こっていると私自身が身をもって感じているところです。正直なところ法的手段に訴えたいとさえ思うようなことも何度も起こっています。

まず雇用について、非常勤だから来年も継続するかどうかわからない、というのがおそらく世間一般の認識だと思いますが、そういうタイプの非常勤だけではありませんし、一般大学では夏〜秋にはもう来年度のことが決まりますので、ビクビクすることもありません。そして雇用としては非常勤ではあっても、1年だけで終わり、あるいは3年または5年で終わりというような有期雇用もあれば、契約更新は1年ごとでも続けようと思えば定年退職まで続けられるものもあり、多岐に渡ります。こういう最後の例は珍しいかもしれませんが、実際にはあります。またお給料(原稿とは違って非常勤はフリーランス法は無関係で、給料として収入を得ています)も大学によってかなりの差がありますし(2倍近く差があることも)、その支払い方法もさまざまです。非常勤の場合は、大学が休みになるとアルバイトをしないと生活できないと言われますが、それは全ての非常勤に当てはまるわけではありません(私も最初の数年はコマが少なかったのでそうでした)。コマ数が少ない人や給料の少ない非常勤をしている場合は確かにそれが必要になりますが、まとまったコマ数の非常勤をしている場合は、サラリエの人たちの給料と同じように毎月ほぼ一定の額が支払われるので(私の経験では多くの大学で基本的に年間の総額が12か月に分割して定額で支払われるようになっています)、例えば4つの大学で非常勤をしている場合、月毎にそれをすべて合計すれば年間を通じて毎月安定した収入を得ることができます(多くのコマを持っている場合は、変な話ですが、最近は公募に年俸が掲載されているのでそれを見ると、小さな私大等の専任講師や准教授などの常勤ポストの給料より多い場合もよくあります、もちろんボーナス等はないので全体の差はあるでしょうが)。毎月一定ではない大学があったとしても、その分は考慮して平坦になるようにすれば何も問題ありません。ただ音大などの単科大学ではやはり一般大学とは大きく事情が異なり、このような安定した給料を確保するのは難しいです。私の場合は一般大学が実際にはメインで、年間を通じて固定した十分なコマを確保できたことで、この点をクリアすることができました。

つまり、安定した条件で非常勤ができれば、大学の授業があるのは実質ほぼ8ヶ月ですが、授業のない春と夏の休暇期間(約4か月)もほぼ一定した同じ給料が入ります。まとまったコマ数を確保していればそれだけ収入も安定しますので、採点期間を除いた他の休暇期間は別途研究助成金を取得して研究調査の出張に行ったり、学術論文や著書の執筆や翻訳など各自の研究に時間を当てることができるのです(業績を作り続けることが研究者の仕事で、特に常勤になる前にはそれをメインにするのが良いと私は思います)。私(研究者)にとって、執筆や研究書を読む空間、大学の研究室に代わる仕事場を確保することはかなり重要なことで、仕事が安定したことでフットワークの効く研究拠点を審査を経て自分の名義で確保することができたのは良かったと思っています。

こうした経済というかいわゆるお金の話など正直書きたくもないし、書く必要もないとずっと思ってきましたが、あまりにも非常勤に対する迷惑な勘違いが横行しているので、我慢の限界ということで書くことにしました(通常の生活に支障がきたすほど、悪意はないにせよ明らかに嫌がらせ的な態度を取られることもあります。最近よくあるのは、常勤ポストの公募は不定期に出るのでこれはいいかもと思う場合は応募するのですが、それをコンビニや郵便局で出しに行くだけで窓口の人にまるで仕事のない人と受け取られたり、もう失笑するしかないようなものも多々あります)。春や夏に缶詰になって家で研究したり海外に動いているのを周りの人たちから「働かずにいいですね・・」的な目で見られることが多いですが、事実は全く異なり、授業のない大学が休暇の間も給料は滞りなく入っていますし、非常勤でも場合によっては常勤ポストよりも多い収入を得ている人もいますので、できるだけそうした事実無根の偏見と差別をなくしてほしいと思います。しかしこれは日本に限らず、海外の調査先でも不可解な対応をされることがここ数年続いていて不思議でなりません。非常勤というポジションは仕事の面でも収入の面でも可視化されにくいので仕方がないとはいえ、こんなにも非常勤というのは世の中で軽視されているのかと呆れるばかりですね。これはごく一般的な物事に対する見方にも通じているところがあって、世界は昭和の時代、かつて日本で良しとされたスタンダードとはもう大きくかけ離れた多様性の時代に入っていますので、古い価値観や既成概念を捨てて、いろんな生き方や考え方に触れて自由に発想していけると良いのではと自分自身を含めて思います。あまりこうした考えを書いてしまうのは不本意なレッテルを貼られたり、あらぬ方向へ受け取られたりすることもあると危惧しつつ、書きました。

一番言いたいことは、社会人として基本的なことは全てクリアしているので、ただただ静かに研究させてください、ということなのです。世間の連休やお休みとは全く無関係な生活を送っています。なぜなら年々研究や仕事がずれ込むようになり、慢性的にいつも未消化状態だからです。まだ今も最後の推敲を遅々と重ねているので時期は明言できませんが、今年中にはおそらく時間をかけたものがようやく一つ形になるかもしれず、しかしその後はすでに1年ずれ込んでいる本の執筆準備(書き始める前に読まなければならないここ数年刊行された欧米の研究書が大小何冊もあります)に待ったなしで入らなければならないので、非常勤を始めてからこの7年もずっとそうでしたが、基本的に大学の講義(こちらも1つ新規の講義科目があるので毎週その準備に追われます)以外は研究と執筆生活に没頭することになりそうです。長い博士論文でもそうでしたが、私の場合研究と執筆は基本的にただただ自分で取り組むのみで誰にも相談しません(情報の確認等は別として)。むしろそうでなければオリジナルなものはできないと思っています(人によってそれぞれだと思いますが)。調査の時でさえその場で知り合った研究者たちとランチタイムなどを通じて交流するとはいえ、基本的にそれほど中身については話しません。たとえまわり道が多かったとしても、その試行錯誤こそが研究の面白さであり、一番のやり甲斐だと思っています。

また時間をかけて訳注(歴史的な事実の確認とその注釈、作曲家の略歴とその作品の解説)を加えながら何度も重ねてきた訳稿の改訂についても、誰にも相談をしてこなかったのは、大部分においてフランス語それ自体の問題ではないからです(とはいえ日本語でフランス語を教えるようになったことは、今回の翻訳に大きな糧になったことは事実です)。良くも悪くも当時を知る人しかわかり得ないことについて肝心なことがことごとく端折られて書かれていないので、それを補って本文を何度も読み込みながら文脈を掴む必要があるのですが、それはこの分野の歴史と一次史料を目にしてきた人にしかわかり得ないことだからです。博士論文の時代からこの本の著者にかんする一次史料を目にしてきた私自身でも、自分の専門ど真ん中というわけではない領域でもあるので、楽譜のない音楽作品についてどのような作品なのか調べ、どういう文脈なのか、どういうことがその言葉の背景にあるのか、この独特な言葉は何を示唆しているのか、、といったことを理解する(というより推しはかり、探る)ために、調べて調べて調べての連続でした(もちろん日本語は皆無です)。フランスだけでなく、東欧や南米の作品や作曲家についても少し触れられているので、なおさらです。言葉の意味についても、その作品について知らなければニュアンスなど決めることはできません(知ったとしても決めるのは難しいものもあります)。まだしばらくかかりますが、終わりにたどり着けるよう取り組んでいるところです。